2012_07
18
(Wed)12:33

仙台にて ~6~

防災総合庁舎を後にして私たちは南三陸町志津川へ。

南三陸の海はたいへん美しい姿で私たちを迎えてくれました。

海には定置網や海苔の養殖のブイが浮かんでいました。

復興の兆しが見えていました。

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この建物は海からの距離わずか400メートルの平地に立つ宮城県南三陸町の公立志津川病院。

東日本大震災で入院患者107人のうち72人が死亡・行方不明となり、院内では看護師と看護助手計3人も波にのまれました。

病院は東棟(4階)と西棟(5階)の2棟。津波は4階まで達しました。

入院患者の多くが自力歩行困難な65歳以上の高齢者でした。

停電でエレベーターは止まっていたので寝たきり状態の患者を数人で運び上げるのには労力と時間を要しました。

逃げ込んだ住民ら約120人の誘導と入院患者の搬送が重なり、階段は混雑していました。

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防潮堤を超えた波が迫ったのは午後3時半ごろ。

せり上がる波は、屋上へと向かう東棟4階の階段までに達しました。

病院スタッフの懸命の避難誘導にもかかわらず、病室には多くの患者が残されていました。

津波は、西棟最上階の5階会議室の一歩手前まで迫りました。

第1波が引いたのは、波が押し寄せてから約30分後の午後4時ごろ。

強烈な引き波が、さらに悲劇を招いたのです。
 
運びきれなかった患者がベッドごと海に向かって流されて行きました。

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避難者と患者、医療スタッフであふれる西棟5階会議室。

外は雪が降る寒さ。患者7人が次々と息を引き取りました。

自衛隊の救助ヘリが屋上に到着したのは翌12日の昼すぎ。

それでもすべての患者を運びきれず、残った患者と医療スタッフはさらに一晩を会議室で過ごしました。

最後の患者数人を搬送し終えたのは、3月13日の午前中でした。


命を救うべき病院でもこのような惨劇が起きました。

目の前で救えなかった命を数々見た病院の職員の方々のお気持ちを考えずにはいられません。

そして恐怖にさらされながら亡くなった方々の無念が伝わってくるようでした。

まだ視察途中でしたがだんだん私の気持ちは重くなって行きました。

                            記M・O





C.O.M.M.E.N.T

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